韓氏意拳創始者韓競辰師来日講習会2026レポート
「私たち人類は自然を改変してしまう。それは私たち自身においても言えるでしょう。ですから自然に帰らなければならない必要もまた生じるのです。」
冒頭この様な言葉から始まった。韓競辰師は、まず自身が自然物であるという面を持ちつつも、今現在において自然な在り方では無くなってしまっている事を認めなければならないと説く。
私たちには二つの状態がある。一つは社会生活の中での状態であると言える。社会生活は現実の問題に対応している、人類の意識活動における領域での状態だ。その中においては、知識、経験、方法が重要である。
もう一つは自然状態だ。生命は環境中に生存しており、生命は常に環境の変化に応じなければならない。その環境は実際には千変万化しているのであって、生命は常に、感じ、応じる事が必要なのだ。この、感じ応じることのできる力を「生命力」、古い言葉では「霊性」であるという事ができる。
韓競辰師はこの様に定義する。
師は以前、自然と不自然という言葉を用いられていた事があったが、現在はこの社会生活状態と自然状態という言葉を使われているのだと言う。社会生活状態が不自然なのかと言うと、そうでは無いからだ。私たちは誰もが社会生活を送っていて、それは現実としてある。不自然という言葉を用いて、それを否定する事を勧めているわけでは無いのだ。現実としてあるにも関わらずそれを否定すれば、理念や理想や観念としての自然と不自然の区別が生じるだろう。
韓競辰師の説く自然状態は、その様なものが入る余地も無い、ただ今、当下に、刹那に、瞬間に、千変万化する世界を感じ、応じる事を言う。ただしこの自然状態に回帰する事に対して、社会生活中で重要な、知識や経験や方法が障害になることはあるだろう。師はこれを知障と言うのだと語る。
そもそも私たちは社会生活中にあって、この自然状態の存在を忘れがちだ。これは私たちの生きる環境がより安全である様に私たち自身がして来た事にもよるかもしれない。師は、確かにその通りだが、その前に人類の意識活動が生じ、「我思う」という事が起こった時には始まっただろうと言って、聖書の「知恵の木の実」の言葉と、老子の「智巧出 生大偽(知恵出でて大偽あり)」を引用する。
さて、これから私たちは何を始めようとしているのかといえば、もちろんこの自然状態を自身において見出し、確立すると言うことをする必要があるわけだ。訓練中の行為はまずこの大きな指針に導かれる必要がある。はじめにまず、一体何をしようというのかが分からなければ大いに迷う事になるだろうから。
今回の来日講習会では、韓競辰師は繰り返し繰り返しこの理を説き、時折、感じ応じる生命力の発露を実際に表現して見せた。また、感触の違いをもって、生活中の状態と自然状態の違いを感じさせるべく一人ひとりに触れさせたので、体験待ちの参加者の行列ができる面白い光景が見られた。触れてみないと分からないことというのはやはりあって、体験後の方々は思わず笑みを溢しつつも、ただの不可思議や雲を掴む様な話ではない、確かにその様なあり方があるのだと感じる事ができた様だった。
参加者からはぜひ来年もという声が多く聞かれた。また開催できる様に当会としても努めて行くつもりではあるので、ぜひ皆様も貴重な機会を逃すことのない様に注目していていただきたいと思う。
日本韓氏意拳学会




