2025韓競辰師来日講習会レポート
【講習会の始めに】
今年は10月25日、26日、11月1日、2日、3日と都内にて開催された。
講習はまず韓氏意拳とは何か、何のためにこれを行うのかという最も重要な方向性についての講義から始まった。
【なぜ站樁を行うのか】
なぜ站樁(たんとう)を行うのか、それは自然に回帰するためである。そのためにはまず我思うを去らなければならない。我思うを去り、我感じる事を通じて自然領域に進入する。それは站樁を通じてのみ行われうる。生命の行く方向は「感」が決めるのだ。王陽明は「人欲を去る」と言った。
我々の行為は意識活動から生じる。故にどのような意識活動なのかという区別が必要となる。「我思う」なのか「我感じる」なのか。
千変万化する世界に、生命は「感」で応じている。これを随縁という。
【不用力】
現実に注目すれば、世の中には力を用いるという一つの運動しか存在していない状況である。自然運動の特徴は不用力だ。不用力の運動については、具体的な参照物をもって示さなければ、どこがどう違うのかを理解する事は難しいだろう。韓氏意拳はそれを提示し、さらに学習においては三つの感じることが可能な指標を掲げている。「脚底拎起・逢節必挟・如線糸」だ。自らその異なる運動を対比することで、指し示し、体認し、自分自身に証明する必要がある。
【条件と現象】
講習は実技に移り、站樁、試力、技撃樁、歩法、拳法と進んだ。どの運動においても、動作に注目せず、自然な状態から運動が生じることが強調された。状態の常態化が韓氏意拳の第一功夫であり、全てはそこから生じる。具体的な運動上の要点、伝統的な要決、口伝も多く紹介されるが、それらはどこから生じるかにまた立ち戻る。王郷齋先生の「形骸の似ることを求むるにあらず、ただ神意の足るを求む」の言葉が引用され、参加者にもその「神意」とは何かについての新たな認識が芽生えて行った様に感じられた。
講習は実技に移り、站樁、試力、技撃樁、歩法、拳法と進んだ。どの運動においても、動作に注目せず、自然な状態から運動が生じることが強調された。状態の常態化が韓氏意拳の第一功夫であり、全てはそこから生じる。具体的な運動上の要点、伝統的な要決、口伝も多く紹介されるが、それらはどこから生じるかにまた立ち戻る。王郷齋先生の「形骸の似ることを求むるにあらず、ただ神意の足るを求む」の言葉が引用され、参加者にもその「神意」とは何かについての新たな認識が芽生えて行った様に感じられた。