2021年3月3日水曜日

「韓氏意拳の命名」(韓競辰拳学論文)

 韓氏意拳の命名  韓競辰

一般的に言えば、名称というのはただの記号である。
何かを指したり、区別するために用いられる。
故にその名をもって指し示したものが何か分かるのであれば、それで問題はないのである。
しかし社会で何事かを為したり、世に何かを広めようとするのであれば、名称というものはいい加減にはできないものであり、その名をもってそこに歴史的な使命感を与え、またその名をもって人の心の琴線に触れ、その名を人々に知ってもらう必要がある。
昔から「名不正則言不順(名が正しくなければ言も筋が立たない)」と言われている。まさに生存の原理を説いた優れた言葉である。しかし、何をもって名が正しくないと言えるのであろうか。
このような見地から、韓氏意拳とは何か?ということを次の様にはっきりと述べなければならないと思う。
問い:韓氏意拳とは何か?
答え:韓氏意拳とは拳術の形式や拳の道を通して、自分自身を知り、自分自身を認識し、自分自身を把握し、自然を感受する(自然に備わった本能を表現した拳術であり、自然を感受する事はそのような本能の表現の過程においてなされる他無い)ことを目的にしている。
無題
天昭昭日月明(天の日や月が明るく照らす)
人恍恍自性彰(人もまた自らの性質を明らかにしている)
茫茫然一片大地真干浄(広々とした大地も清められているというのに)
聡明様事無巨細真煩人(人は自ら聡明であるとしさまざまな事に心を悩ます)